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なぜ吹奏楽部に楽器を貸すのは難しいのか

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音楽工房TOTOとまと
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わたしは長年、音楽に携わってきました。演奏活動だけでなく、学校の吹奏楽部に招かれて指導することも多く、若い生徒たちと音楽を通じて関わってきました。その中で、忘れられない大きな学びがあります。

それは、率直に言えば――**「吹奏楽部に楽器を貸すのは難しい」**ということです。最初にこの言葉を聞くと、きっと「乱暴な言い方だな」「困っている後輩を助けるのにどうして?」と思うかもしれません。しかし、これは私自身が体験した、切実で現実的な理由に基づいています。

かつて、ある学校から「楽器が足りないので貸してもらえませんか?」と相談を受けました。音楽を愛する者として、困っている生徒たちを前に断ることはできません。善意で、気軽な気持ちで楽器を貸したのです。

しかし、そこで待っていたのは想像以上のトラブルでした。雑に扱われて傷がついたり、修理が必要なほど損傷したりすることもありました。さらに「借りた」という意識が薄く、返却の段取りすら曖昧にされることも珍しくありませんでした。

その時、私は初めて「善意だけでは済まされない世界」があることを痛感しました。もちろん、すべての生徒や学校がそうではありません。真剣に大切に扱ってくれる子たちもたくさんいます。それでも、楽器は単なる道具ではなく、私たち奏者にとっては心の一部のような存在です。ほんの少しの不注意でも、深い傷を負わせてしまうのです。

今回は、私が直面した楽器レンタルのトラブルとその対処法を、具体的な体験を交えてお話しします。「貸す側」「借りる側」それぞれに必要な心構えとは何か。これから同じような場面に立つ方に、少しでも参考になれば幸いです。

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「ティンパニーは帰らなかった――楽器貸し出しトラブルの実体験」

この出来事は、わたしが専門学校の講師をしていた頃の話です。

北海道芸術専門学校――当時、北海道で唯一の音楽専門学校として、

多くの若者が夢を抱き、学びに集う場所でした。

14年間の歴史を持ち、多くの卒業生を送り出してきた学校でしたが、

校長が亡くなられたことをきっかけに、惜しまれながら閉校が決まったのです。

その際、わたしは縁あって学校に残された打楽器類を譲り受けることになりました。

ティンパニーやコンサートバスドラムといった、

個人で所有するには広い保管場所が必要な大物楽器ばかり。

自宅の部屋に収まるようなものではなく、

正直なところ「これからどうやって置いておこうか」と悩んでいたほどです。

そんな矢先のことでした。

校長代理の先生から「楽器を貸してもらえないか」という相談が入ったのです。

話を聞くと、ちょうど吹奏楽コンクールに挑戦するために、

打楽器がどうしても足りないということでした。

困っている後輩たちを見捨てる気持ちにはなれず、

わたしは「それならコンクールが終わるまで」という条件で貸し出すことを承諾しました。

貸し出した楽器は、

ティンパニー4台、コンサートバスドラム、コンガ2セット、ボンゴ、そしてドラ。

まさにコンクールで使用されそうな主力の楽器ばかりです。

後から知ったことですが、当時流行していた「メトセラⅡ」という曲を自由曲に選んでいたようで、

大編成の迫力を出すためにどうしてもこれらの楽器が必要だったのでしょう。

貸し出しは4月。わたし自身が車で運び込みました。

そして返却は8月、コンクールが終わったらすぐに、という約束でした。

ところが、いざ8月に連絡をすると「定期演奏会まで貸してほしい」と延長を頼まれ、

結局11月まで貸し出すことに。

そこからさらに「地域イベントでも使う」「発表会でも必要だ」と、理由は次々と出てきて、

返却は先延ばしにされていきました。

気がつけば――5年という月日が流れていました。

さすがにこれはおかしいと感じ、学校に直接連絡を取ると、

当時の顧問の先生が異動しており、新しく着任した先生は「そんな貸し出しの話は聞いていない」と一点張り。

わたしがどれほど説明しても取り合おうとしませんでした。

仕方なく直接学校に出向き、返却を求めました

。しかし、目の前に現れた顧問の先生は頑なな態度で「部外者を部室に入れるわけにはいかない」と突っぱね、

返却の意思すら示そうとしないのです。

その時の、全てを拒むような表情は今でも忘れられません。

それでも粘り強く交渉を重ね、楽器の特徴や譲り受けた経緯を説明し続けました。

すると、ようやく戻ってきたのはティンパニー3台、古いコンガ1セット、ボンゴ。

貸し出したものの半分にも満たない返却でした。

「残りはどうしたのか」と問い詰めても「知らない」「最初からなかった」と、

まるで取り付く島もない。まさに暗礁に乗り上げた状態でした。

埒が明かないと感じたわたしは、最終手段として教育委員会に報告することにしました。

すると、ようやく校長代理を務めていた先生の耳に入り、

学校側に動きがありました。その結果、コンサートバスドラムとドラが返却されることになったのです。

ただし、学校側は「コンクールまでは貸してほしい」と再び要請してきました。

さすがにここまでの経緯を踏まえ、わたしはきっぱりと丁重にお断りしました。

二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかったからです。

結局最後まで、ティンパニー1台とコンガは戻ってくることはありませんでした。

この出来事は、わたしにとって「善意だけで楽器を貸してはいけない」という強烈な教訓となりました。

音楽を愛する気持ちと現実とのギャップ。

その狭間で苦しみ、学んだ大切な経験なのです。

「善意が招いた誤算 ― マレット貸し出しの裏側」

わたしの専門は打楽器ですが、その中でも特にマリンバを専門にしています。

マリンバという楽器は、ただ鍵盤を叩けばよいというものではありません。

演奏する曲や表現したい音色によって、マレットと呼ばれるバチを使い分ける必要があります。

マレットはその硬さによって音がまるで変わります。

硬いマレットなら鋭く突き抜ける音が出せますし、

柔らかいマレットを使えば、温かく包み込むような響きが生まれます。

曲調に合わせて最適な音色を選ぶことが、

マリンバ奏者にとっては欠かせない作業なのです。

しかし、学校の吹奏楽部となると事情は少し違います。

マレットの種類が揃っている部はごく稀で、

多くの学校では「硬い」「普通」「柔らかい」の3種類程度あれば良いほうでしょう。

専門的に活動する奏者が当たり前のように7種類、8種類ものバリエーションを持っているのに比べると、

その差は歴然です。コンクールで音色にこだわろうとすれば、

本来はそれだけの種類のマレットが必要なのに、現場には十分な道具が揃っていないのです。

そんな背景から、あるとき私は自分のマレットを貸し出すことになりました。

子どもたちが一生懸命に音を作ろうとする姿を見ると、断りきれなかったのです。

しかしその結果、思わぬ問題が起こりました。

マレットの先端には毛糸が丁寧に巻き付けられています。

その毛糸が、使うたびに少しずつ擦り減っていくのです。

特に初心者が強く叩いたり、長時間練習で使い込んだりすると、消耗は一気に進みます。

貸し出したマレットの毛糸は、みるみるうちに擦り切れてしまいました。

もちろん、消耗するのは楽器の宿命とも言えます。

しかし、問題はその後です。

弁償をお願いしても「備品と同じようなものだから」「また買えばいいでしょう」と軽く扱われることが多く、

結局泣き寝入りせざるを得ないこともありました。

マレットは時に4本同時に使うため、私はいつも4本で1セットとして購入していました。

ところが、貸し出したマレットのうち2本だけが擦り切れてしまうと、

残りの2本はまだ使えたとしてもバランスが悪くなり、

演奏では役立たなくなってしまいます。

結果として「2本分を買い取ってもらう」形になっても、

実際にはこちらが新しく2セット(つまり8本)を買わなければならない羽目になることもありました。

こうして気がつけば、貸したマレットは返ってこないどころか、出費だけがかさんでいきます。

楽器そのものは返却されても、

消耗品であるマレットは「貸したら最後、戻ってこない」と思っておいたほうがいいのかもしれません。

この経験を通して私は、

「マレットは単なる棒ではなく、奏者にとっては音楽そのものを左右する大切な道具だ」ということを、

より強く実感しました。そして同時に、「善意で貸す」ことの難しさと、

そこに潜むリスクを改めて思い知らされたのです。

「唯一無二のカスタネットが壊れた日――楽器を貸すことの代償」

次にお話しするのは「貸した楽器が壊れてしまった」という出来事です。

ある時、わたしは先輩が指導している学校にクリニックをしに伺っていました。

合奏の中で子どもたちの演奏を聴きながらアドバイスをしていると、

ある場面で「先生、そのカスタネットすごく叩きやすそうですね」という話題になったのです。

実際、当時わたしが使っていたカスタネットは特別なものでした。

師匠がわざわざ100個もの在庫の中から、音色や反応の良さを一つひとつ試して、

最も優れているものを選んでくださった、まさに唯一無二の楽器だったのです。

舞台上でも、練習でも、信頼できる相棒のような存在でした。

だからこそ「貸してほしい」という言葉には強く心が揺れました。

大切な楽器だから絶対に貸したくない――そう頭では思いながらも、

一生懸命に練習に励む生徒たちの姿を目の当たりにすると、

どうしても断ることができませんでした。

結局わたしは、深くため息をつきながらも首を縦に振り、

貸し出すことを決めてしまったのです。

数日後。私は出張で東京に滞在していました。

夜、ホテルの部屋で一息ついていると、突然電話が鳴りました。

先輩からの電話でした。

受話器の向こうからは、切羽詰まったような声で「カスタネットのことなんだけど……」と。

続いて聞こえてきたのは、担当していた生徒のすすり泣く声でした。

「カスタネットを……割ってしまったんです……」

その子は大泣きしながら、何度も何度も謝っていました。

その声を聞いた瞬間、胸の奥にチクリと痛みが走りました。

あの大切なカスタネットが……と。

けれど、泣きじゃくる子にそんな思いをぶつけることはできません。

わたしは努めて優しい声で言いました。

「大丈夫だよ。一生懸命に練習していて壊れたなら仕方ない。楽器だって人と同じで、がんばって使えば傷つくこともあるんだから」

そう言って子どもをなだめながら、自分の中で「これは試練だ」と言い聞かせていました。

翌日、ちょうど東京にいたこともあり、楽器店に足を運ぶことにしました。

先輩には弁償をお願いし、そのお金で代わりのカスタネットを買えばいいと考えたのです。

しかし――そこで待っていたのは、思いもよらぬ現実でした。

店内には確かにカスタネットが並んでいました。

新品で、木目も美しく、音もそこそこ響くものもありました。

でも、いざ手に取って叩いてみると、その音色も手触りも、

あの師匠が選んでくれたカスタネットには遠く及ばないのです。

「同じカスタネットでも、こんなにも違うのか」

打ち比べれば比べるほど、あの楽器がどれほど特別だったかを痛感しました。

代わりを買うことはできても、失われたものはもう二度と戻らない。

胸の奥に、どうしようもない虚しさが広がっていきました。

この出来事は、「貸す」という行為が、ただ物を一時的に預けるだけではなく、

大切な思い出や信頼までも託すことになるのだと、身をもって教えてくれたのです。

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