PR

大泉洋と100年記念塔の接点は?見慣れた建造物だった

スポンサーリンク
芸能
スポンサーリンク

大泉洋が玉置浩二プロデュースの新曲「あの空に立つ塔のように」を発表した。

玉置浩二の曲に大泉洋が歌詞の書きましたが、

歌詞に出てくる「古い塔」=「100年記念塔」と、

大泉洋に接点はあるのでしょうか?

スポンサーリンク

玉置浩二プロデュースに驚き

チームナックスソロプロジェクトの、

”生誕50周年、大泉洋リサイタル”にあたり、

スタッフが玉置浩二に作曲を依頼、

その話に大泉洋は凄いところにオファーしたねと驚いたそうだ。

大泉洋と玉置浩二はSONGS(NHKの歌番組)で接点があり、

同じ北海道出身という事で玉置浩二は大泉洋のことを、

気にかけてくれているようだ。

玉置浩二は大泉に、

「歌リハーサルも本番もない、いつも本気で歌え!」と言われ、

その言葉を胸に歌っていると語っている。

歌詞【古い塔】=【100年記念塔】との接点

大泉洋と100年記念塔の接点はあるのでしょうか?

玉置浩二の書いた曲を聴き、

大泉洋は2人の故郷・北海道の、

地元の風景を感じる歌詞にしたかったと語っています。

大泉洋の出身は札幌の隣町:江別市になります。

江別市のカントリーサインには「100年記念塔」が描かれていたり、

幼稚園や小学校の遠足では、

100記念塔のある”野幌森林公園”に行くのが定番のコースです。

きっと大泉少年は小学5年生までは江別に住んでいましたので、

遠足で100年記念塔をみたり(もしかしたら登ったこともあるかも)

遊びに行っていたので新曲の歌詞に【古い塔】として書き入れたのでしょう。

大泉少年は江別のどの辺に住んでいたのか?

大泉洋さんのお父さん「恒彦さん」は、

北海道高等盲学校の校長先生を務めていたりしました。

江別市大麻(おおあさ)北町地区には、

北海道札幌盲学校がありましたので、

高等部が分離した高等盲学校の校長先生を務めていたという事は、

大麻(おおあさ)地区に住んでいて、

その後、真駒内のほうへ引っ越しをしたのではないでしょうか?

もし大麻地区に住んでいたとしたら、

100年記念塔がある野幌森林公園までは車で5分程度、

自転車でも通える距離ですし、

”100年記念塔”慣れ親しんだ場所見慣れた建造物なのかもしれませんね。

100年記念塔は解体済み

歌詞に出てくる「古い塔」=「100年記念塔」は、

2023年8月に塔の部分の解体が終了しました。

残念なのは100記念塔の前でぜひ歌ってほしかったです。

それがもう叶わないのは本当に残念です。

現在は基礎の部分までの解体が行われていて、

来年5月で完全に解体が終了するそうです。

まとめ

大泉洋さんの新曲の歌詞を、

読み解くと少年時代の大泉さんのことが、

ちょっとわかるかもしれません。

大泉洋リサイタルでは新曲「あの空に立つ塔のように」の、

魂の本気の大熱唱が見られることでしょう

コメント

タイトルとURLをコピーしました