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【チームナックスの謎】 オフィスCUEへはバラバラに契約

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芸能
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北海道のSMAPこと「チームナックス」(TEAM-NACS)ですが、

個性的な5人が集まってできた演劇集団で、

結成から現在に至るまで、

いろいろな面白い話やいい話がたくさんあります。

今回はチームナックスのメンバーの、

オフィスキューの契約年数がバラバラな件についてお話します。

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オフィスCUE 契約1番目

リーダー森崎率いるチームナックスはメンバー全員が、

北海道の芸能事務所”クリエイティブ オフィスCUE”に所属しています。

しかし、メンバーが”オフィスCUE”に入った年数がバラバラなのは知っていますか?

”水曜どうでしょう”で有名なミスターこと鈴井貴之さんが、

北海道の舞台役者が専業で活動できる環境がなく、

テレビ・ラジオの出演をマネージメントする事務所の必要を感じ1992年に創設しました。

まず一番初めに”オフィスCUE”の所属になったのは、

安田顕さんで1993年に契約しています。(大泉洋さんが最初ではありません)

安田さんは鈴井さんが立ち上げた「劇団OOPARTS」(オーパーツ)に所属して、

そのまま鈴井さんの事務所に入ったと思われます。

オフィスCUE 契約2番目

次に”オフィスCUE”と契約したのが大泉洋です。

実はこのときはまだチームナックスは出来ていません。

チームナックスは北海道北星大学の演劇部の仲良し5人組が、

森崎・安田の卒業制作として結成・解散公演と銘打った、

1回限りの舞台をしただけの集まりでした。

その前は、大泉さんは”劇団イナダ組”というところに所属していて、

1995年10月、北海道テレビの深夜番組『モザイクな夜V3』で2代目「元気くん」として、

出演したのが芸能活動の初めでこの時に”オフィスCUE”と契約しているようだ。

その後、おしゃべりが面白いと認められ、

”水曜どうでしょう”のMCとして大抜擢される。

オフィスCUE 契約3番目

3番目に契約したのがリーダーの森崎さんである。

リーダーは「劇団イナダ組」にも「劇団OOPARTS」にも所属していたようです。

1996年に大学を卒業する自身と安田さんの卒業公演の為に、

1回限りの演劇ユニットとして「TEAM-NACS」を結成。

公演終了後に解散した。

もう演劇からは卒業だといい、

もう戻ることはない”サヨナラ”だと言い放ち旅立ったリーダーであったが、

体調を崩し札幌でかつての演劇仲間と会ったことからホームシックに陥り、

入社から9か月で会社を辞め戻ってきてしまった。

証券会社に就職していたリーダーは成績優秀で、

社長賞をもらいハワイ旅行を貰ったこともあったようだ。

そして「TEAM-NACS」を1997年に再結成して、

しばらくフリーの活動をしていたが、

1999年に冠番組である『いばらのもり』が放送されることがきっかけで、

チームナックスの大泉洋と安田顕が所属する”オフィスCUE”に加入することとなった。

オフィスCUE 契約4、5番目

残りの2人:戸次と音尾は同時に契約をしているのだが、

1997年のチームナックス再結成以前には、

2人は別の事務所に所属をしていた。

1997年にチームナックスが再結成して5人での活動する中で、

所属事務所がバラバラだった為、

同じテレビの枠にチームナックスとして出演できない不具合が生じた。

(同じ時間帯の各局の情報番組に安田と戸次が出ていたりした)

大泉と安田が当時、社長だった鈴井に、

これからはチームナックスで活動をしていきたいと直談判、

鈴井が戸次・音尾の所属事務所に頭を下げ移籍をお願いしたという。

晴れて2000年に戸次・音尾が”オフィスCUE”と契約をこととなる。

まとめ

順風満帆にみえる”チームナックス”も現在に至るまでに、

いろいろな事があったようです。

チームナックスとして5人で活動をするにあたり、

5人の為に頭を下げて歩いた鈴井さんのメンバーへの愛、

それを支えた”副社”(当時の鈴井の妻、現在はビジネスパートナー)

そんな話を知ってしまうと応援せずにはいられませんよね。

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