朝ドラ「虎に翼」で寅子が兄の結婚式に歌った曲、
そして、女子部のみんなで海に行ったときに、
いつも”土居志央梨”がうるさい!と言って聞けてない曲、
”ハ・ヨンス”が寅子の歌を聞きたいと言って、
寅子が歌った曲は実は実在した曲でした。
「二村定一(ふたむらていいち)」と、
「榎本健一(えのもとけんいち)」通称「エノケン」の二人が、
歌っていた「モンパパ」という曲でした。
「モンパパ」を歌った”二村定一”と”榎本健一”
二村定一と榎本健一が1931年(昭和6年)の12月に
リリースされた曲ですが、
この曲はカバー曲として発表されたものです。
二村定一
二村定一は宝塚歌劇団に傾倒し、
自身も浅草オペラに入団し初舞台を踏んでいる。
関東大震災が発生し、浅草オペラの人気が下火になり、
レコードが発売中止になったり、
不遇な時代もあった。
1920年代初頭にいち早く海外のポピュラーソングに
興味を持って独学で歌唱法を習得した苦労人だったが、
その高い歌の技術と曲の解釈で
- 日本有数のジャズシンガー
- 新進テノール歌手
- コミックソング歌手
- 日本の流行歌手のパイオニア
というオールジャンルを歌いこなす大物歌手であった。
しかし、心無いアンチファンからは、
二村の大きな鼻に引っ掛けて「流行歌の鼻祖」と呼ばれていた。
榎本健一
榎本健一は当時は浅草を拠点としていた、
俳優、歌手、コメディアンであった。
エノケンの愛称で広く全国に知られていった。
「日本の喜劇王」とも呼ばれ、国民的喜劇俳優として活躍した。
前回の「ブギウギ」では
日本を代表する喜劇役者で、喜劇王・タナケンとして登場している。
二村定一とは「浅草オペラ」で一緒になり、
その後、二人座長となった「ピエル・ブリヤント」を旗揚げ。
これが後に「エノケン一座」となった。
役者だけではなく、歌手としても数々の作品を残している
モンパパ
寅子の歌った曲「モンパパ」の歌詞は、
コミックソングのようなニュアンスになっており、
2人の幅広く高い歌唱能力が合わさった曲になっています。
【1番】
二村定一:うちのパパとうちのママと並んだ時、大きくて立派なはママ
うちのパパとうちのママと喧嘩して、大きな声で怒鳴(どな)るは、いつもママ
榎本健一:いやな声で謝(あやま)るのは、いつもパパ
二村定一:うちのパパ 毎晩遅い
榎本健一:うちのママ ヒステリー
二村定一:暴れて怒鳴るは いつもママ
榎本健一:はげ頭下げるは いつもパパ
二村定一:でたらめ言う それはパパ
榎本健一:胸ぐらを取る
二村定一:それはママ
二村定一、榎本健一:パパの身体は 揺れる揺れる クルクルと回される
【2番】
榎本健一:うちのパパとうちのママと並んだ時、大きくて立派なママ
うちのパパとうちのママと喧嘩して、大きな声で怒鳴るは、いつもママ
二村定一:小さな声で謝るのは、いつもパパ
榎本健一:うちのパパ コブが出る
二村定一:うちのママ ツノが出る
榎本健一:後から笑うのは いつもママ
二村定一:メソメソ泣くのは いつもパパ
榎本健一:あ のんきな大将 それはパパ
二村定一:ヒスの親玉 それはママ
二村定一、榎本健一:パパの嬉しそうな時は ニコニコとえびす顔
モンパパが宝塚歌劇団のカバー曲
実は「モンパパ」にも元の曲があり、
二村定一が傾倒していた宝塚少女歌劇で、
1931年(昭和6年)8月に公演された「ローズ・パリ(薔薇の巴里)」という
タイトルの舞台(レヴュー)で歌われた曲でした。
二村定一、榎本健一の2人が歌っていた曲の伴奏が、
ちょっと歌劇曲っぽいのは、
こういう理由だったんですね。
まとめ
この先も寅子のこの歌を聞くことが、
出来るのか?
最後まで披露されることが
あるのか?
楽しみですね。
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