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【八代亜紀】日本の歌姫として 画家として

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芸能
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昨年2023年12月30日に亡くなっていた、

日本の歌姫”八代亜紀”さん。

その輝かしいキャリアなど調べてみました。

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八代亜紀は、日本の女性歌手であり、

その美しい歌声と多彩な歌唱力で知られています。

1950年8月29日、熊本県八代郡金剛村に生まれ、

本名は橋本 明代です。

幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育ち、

歌好きの子供になり地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。

たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、

そのハスキーボイスに魅せられます。

もともと自身もハスキーボイスの持ち主だった八代さんは、

その声に若干のコンプレックスがあったが、

ジュリーの声質に勇気づけられ、

クラブ歌手になることを意識するようになります。

八代市立第六中学校卒業後、

数か月ほどの間ではありますが、

バスガイドとして勤務していました。

しかし、わずか15歳で父親の反対を押し切り東京に上京し、

音楽学院に通って基礎を身に着け、

3年後銀座のクラブ歌手となり、

スタンダードやポップスなどを歌っていました。

1971年にテイチクより「愛は死んでも」でデビュー。

読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して、

10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、

徐々にレコードが売れ始める。

1973年に「なみだ恋」が120万枚とヒットした後も、

  • 「しのび恋」
  • 「愛ひとすじ」
  • 「おんなの夢」
  • 「ともしび」
  • 「花水仙」
  • 「もう一度逢いたい」
  • 「おんな港町」
  • 「愛の終着駅」

女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発する。

その後「舟唄」「雨の慕情」が大ヒットし、

NHK紅白歌合戦では2年連続大トリを務め、

ほどなくして“演歌の女王”と称されるようになります。

2012年頃からジャズ、ブルースなどを本格的に歌うように、

邦人アルバム史上最大級となる世界75ヶ国に配信され、

2013年3月、ニューヨークの老舗ジャズクラブ「Birdland」でライブを行い、

ジャズシンガーのヘレン・メリルと共演。

年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーは、

演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、

ジャンルレスを掲げた公演を続けていた。

2021年には芸能生活50周年を迎えて芸能界に生涯を捧げ、

日本の歌謡界で輝かしいキャリアを築き上げました。

永年にわたり歌手として活躍して八代亜紀さんですが、

画家としても素晴らしい実績をもっています。

歌手・八代亜紀としての成功を収める一方で、

彼女は画家としても活動し、

彼女の絵画は音楽と同様、

深い感受性と芸術的なセンスが溢れ出ています。

多様な芸術の才能を持つ彼女は、

音楽と絵画を通じて異なる表現手段を駆使し、

アーティストとしてその魅力を広げていました。

八代さんの絵画は感性豊かな繊細な筆到と独特の超現実主義の表現で、

画家としての世界も着実につくりあげて、

フランス画壇の登竜門「ル・サロン」展へも5年連続入賞を果たし、

アーティストとしての活動も積極的に行っていました。

全国各地で八代亜紀絵画展などを精力的に開催していました。

まだまだ色々なことを見せてもらえる歳だったのに、

本当に残念でなりません。

しかし、八代亜紀さんの歌や絵画は、

これからも後世に残っていくと思います。

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