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JRA史上初 女性アナウンサーの場内実況 藤原菜々花はどんな人?

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3月3日の【ひな祭り】の日にJRA史上初の、

女性アナウンサーによる場内実況が行われた。

実況をしたのは入社4年目の

”藤原菜々花”さんです。

どんな方なのか調べてみました。

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JRA史上初の場内実況をした藤原菜々花さんは、

横浜英和学院横浜英和女学院中学高等学校(現・青山学院横浜英和中学校・高等学校)

立教大学文学部卒業。

大学時代は放送研究会に所属し、

東京湾納涼船のキャンパスDJや、

湘南ビーチFMの番組「JJ.FRIDAY イケブクロ」の学生DJなどを務め、

アナウンサーを目指し全国各地の放送局をエントリーしたが、

約40社から不採用となっていたが、

ラジオNIKKEIでは面接のマイクテストで披露した、

架空実況に対する積極的な姿勢が評価され、

内定を勝ち取ったそうだ。

なぜ藤原菜々花さんの愛称が”ななかもしか”かというと、

走っている姿がカモシカに似ているという理由で、

中学生の頃に名づけられたようだ。

中学・高校時代は放送部と合唱部を兼部していた。

合唱部では1時間の筋トレ、

放送部では200回の腹筋とラダートレーニングを行っており、

体力には自信があると語っている。

しかし、足が速かったのかは不明。

入社時当初は競馬に関する知識がまったくなかった藤原さんでしたが、

それこそ先輩アナウンサーたちが何を話しているのか分からない状態だったが、

入社直後の2020年に牡馬クラシック3冠を成し遂げた、

コントレイルに魅了され、

本格的に競馬に興味を持ち始めたそうだ。

面接時に面接官に

「私、もし競馬実況ができたら、すごくかっこいいなと思ったんです」といったそうだ、

その言葉が4年後の、

2024年1月8日の『中央競馬実況中継』において、

中山競馬第1レースの番組内実況を担当し、

実況アナウンサーとしてデビュー。

同年3月3日の中山競馬第3レースにて

場内実況(JRA公式)を初めて担当した。

ラジオNIKKEIにおいて女性が競馬実況を担当するのは

これが初めてのことであった。

幼い頃からフィギュアスケートのファンだった藤原さんは、

同期入社のディレクターとの会話がきっかけで、

『こだわりセットリスト』で羽生の歴代プログラムを、

ノンストップで放送する企画を行うことになり、

2022年4月12日に自身のTwitterにおいてリクエストを募集したところ、

世界各地から約2000通ものメールが届いた。

同年5月5日に『こだわりセットリスト特別編~羽生結弦選手特集』として放送すると、

大きな反響を受け、

同特集は第3弾まで続き、

2023年10月には「こだわり羽生結弦セットリスト」としてレギュラー化された。

2024年3月3日の中山競馬第3レースにてJRA場内実況を初担当したが、

最終レース終了後に取材に応じた。

入社後は競馬場のビギナーズセミナーに参加するなどして徐々に知識を深め、

2021年1月23日の『中央競馬実況中継』において、

パドック中継の進行役としてデビュー。

以降はトレーニングセンターでの取材などをこなすかたわら、

実況練習を開始した。

競馬実況までの経緯

実況することを伝えられたのは、

2日前の金曜日だったことを明かした上で、

「金曜の夕方に場内実況をやることを聞いて、

土曜からそわそわしていました。

入社してから4年間、

場内実況を一番の目標にしていたので凄くうれしいです。

今日の満足度は0です。

この経験を次に生かして頑張りたいと思います。

まずは目の前の1レース、1レースを大切にしたいですが、

いつかは牝馬限定のG1の実況ができたらいいなと思います」とコメントした。

自身の実況について、

「私に男性のような迫力は絶対出せないと思っていて。

でも、走っているときの爽快感を出すことや、

華やかさを伝えることはできるんじゃないかなと」と語っており、

当面の目標として「牝馬のGIを実況」することを挙げている。

かねてから日向坂46のファンであり、

好きな曲には「青春の馬」を挙げている。

「箱推し」であるが、

特に好きなメンバーには、

上村ひなの影山優佳の名前を挙げている。

これからも実況する機会が増えて、

声を聞くこともあると思います。

走る馬だけじゃなく、

実況する藤原菜々花さんも応援しましょう。

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