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【笑点】と立川一門との確執 何があったのか!?

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日曜日の夕方のお笑い番組といえば【笑点】だが、

林家木久扇さんの引退に伴い、

新メンバーに立川一門の”立川晴の輔”さんが決まった。

番組は1966年、立川談志さんが立ち上げてスタートした。

当時、テレビの普及に押され、

寄席に足を運ぶ人が減った状況に危機感を抱き、

「落語家もどんどんテレビに出るべきだ」との思いから企画した番組だった。

しかし、立川談志さんが司会を降板して以降、

立川一門の落語家が『笑点』に出演することはなかった。

一体、何があったのか?調べてみました。

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初代司会者となった立川談志さんだったが、

風刺やブラックユーモアを取り入れながら、

大人の笑いを求めた結果、

日曜夕方という時間帯の笑いに合わないとする

番組スタッフとレギュラー陣と対立していた談志さん。

1969年3月末にレギュラー陣全員が降板し、

新たなレギュラー陣を談志さんが集めて、

番組を継続させていたが、

談志さんも同年11月に番組を去った。

立川談志の一番弟子の立川志らくさんは、

30代のころ、自ら落語の本を執筆した時に、

「本来は落語家は、古典落語の名人になりたくてやってるのに、

あそこ(『笑点』)が落語界における一番のステータスになっている」と苦言を呈し、

「落語界のためにいち早くやめてくれ」と放送中止を要望。

「だいたい、イイ大人がいつまで座布団の取り合いっこしてるんだ」と物申していた。

そのために『笑点』メンバーとの間には大きな溝が出来ていたようだ。

同じ落語を愛し落語の為に頑張っている同士の立場の、

立川志らくと笑点メンバーだったが、

やはりその溝は大きく新幹線で顔を合わせても、

談笑するような雰囲気ではなかったようだ。

そんな時、6代目円楽さんが志らくさんに、

「志らく、お前も食うかい?」と、

買ってきていたパンを渡してくれたという。

その思わぬ優しさに志らくさんは、

「私は道中ずっと泣いてました」と振り返っている。

「本当に悪いことした」と反省した志らくさんは、

のちに新聞のコラムで謝罪し、

「『笑点』があったから日本人が落語を忘れずに済んだ」と称えたという。

そして「万が一『笑点』のオファーがあったらすぐ出ますね」

意欲を見せていた。

円楽さんには感謝の気持ちを持っており、

2022年5月15日と22日に、

脳梗塞のためにリハビリ中だった6代目円楽さんの代演として、

志らくさんは「笑点」に出演した。

「笑点」の初代司会者・立川談志の弟子でありながら、

かつて著書で番組を批判し、

「落語=笑点というイメージが嫌」「生涯『笑点』に出ない」とまで

コメントしていた志らくさんだったが、

円楽さんの温かい気持ちに接して、

メディアで『笑点には本当に感謝している』『日本の宝だ』ってことは言い続けていると釈明。

出演についても感謝でしかないとコメント。

自分が勝手に脅えていただけだったとし、

師匠の談志が『そろそろお前出ろよ』

『俺が作ったんだからお前が出て一応談志が作ったってことをもう1回みんなに知らせてやれよ』

言っているようなそんな気がすると話していた。

55年ぶりに立川流からレギュラーになった立川晴の輔さん、

立川志の輔の一番弟子で、

見た目も若々しく見える。

立川一門の中でも、

志の輔一門は立川流のクリーン派。志らく一門はダーク派。

晴の輔はそのクリーン派の中でも一際クリーンな落語家。

志らくさんは、

「笑点の最近入ったメンバーは一之輔は皮肉屋で見た目はAV男優。

宮治は明るいが目が笑っていない。

きっといずれ晴の輔は笑点の良心になるはず」と称賛している。

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