猪爪家に下宿していた書生の優三。
早くに両親を亡くし、
弁護士だった父に憧れて大学に通うが、
高等試験(現在の司法試験)にはなかなか合格できない。
昼は直言の銀行で働き、夜は大学で勉学に励んでいました。
寅子の父・直言が捕まった時は、
しっかりと猪爪家を支えて寅子たちを励ましていました。
その後、初めて司法試験には合格したが、
最後の口述試験で残念ながら落ちてしまい、
弁護士を目指すのは最後と決めていた優三は猪爪家を出て、
父・直言の経営する「登戸火工」で働くことになります。
そんな優三は寅子の婿さがしを聞き、
長年の寅子への思いのまま駆け付けて結婚を申し込みます。
そんな優しい”佐田優三”のモデルとなった人物は”和田芳夫”さんです。
では寅子のモデルとなった三淵嘉子氏の、
旦那・和田芳夫さんはどんな方だったのでしょうか?
三淵嘉子の旦那
仲野太賀さん演じる”佐田優三”のモデル”和田芳夫”さんは、
三淵嘉子さんの父・武藤貞雄さんと同郷の香川県丸亀市から上京してきて、
「書生」として同居していました。
芳夫さんは何名かいらした書生の中では、
一番大人しくて優しい人柄だったと言われています。
和田芳夫さんは上京して働きながら明治大学専門部の夜間部で勉強をしていましたが、
大学を卒業後は東洋モリスン(東洋紡織工業)という紡績会社に就職しました。
2人の馴れ初めは調べても、見つかりませんでしたが、
嘉子の婚期が遅いのも事実ですし、
女性弁護士という家庭内のパワーバランスを考える人たちには、
嘉子は魅力的には見えなかったようです。
ドラマの内容のように芳夫さんの一方的な思いからの
結婚というのも本当の史実かもしれません。
夫・芳夫との死別
昭和16年に結婚した芳夫さんですが、
昭和19年に二人の間に長男・芳武さんが誕生します。
その年、夫・芳夫さんには赤紙が届きますが、
過去に肋膜炎になった傷跡があったために、
出兵は1度、取り消しになりますが、
日本の戦況の悪化のために再び芳夫の元に赤紙が届きます。
その翌年に第2次世界大戦で徴兵され中国・上海に芳夫は向かいます。
しかし、戦地の上海で肋膜炎を再発。
上海からの引き揚げ途中に長崎の陸軍病院にて、
嘉子たちに会うことなく”肋膜炎”で命を落としてしまいます。
結婚して数年しか嘉子たちと生活をすることが出来なかったそうです。
せっかく日本まで戻ってこれたのに残念な話です。
二人の息子・和田芳武さんは東京大学伝染病研究所寄生虫研究部から、
東京女子医科大学黄瀬中学教室に移り、
寄生虫の研究で多くの成果をあげ2020年に亡くなっています。
まとめ
せっかく一緒になった2人ですが、
未来には悲しい別れがあるなんて、
とても残念です。
短い時間だったとは言え、嘉子さんは幸せだったようです。
晩年、嘉子さんは遺骨を和田の墓にも入れて欲しいと分骨されているそうです。
それほど2人は幸せだったようですね。
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